2025年06月19日

映画:テルマがゆく! 93歳のやさしいリベンジ

テルマがゆく! 93歳のやさしいリベンジ 1.jpg


映画「テルマがゆく! 93歳のやさしいリベンジ」の感想です。
いつものようにシネマトゥデイから引用します。

---- 見どころ ----
特殊詐欺の被害に遭った93歳の女性が犯人を見つけようと奮闘する姿を描くコメディー。孫を名乗る相手に大金をだまし盗られた高齢の女性が、自らの手で失ったお金を取り戻そうとする。『ブロー・ザ・マン・ダウン~女たちの協定~』などのジューン・スキッブ、『クレイヴン・ザ・ハンター』などのフレッド・ヘッキンジャーのほか、リチャード・ラウンドトゥリー、パーカー・ポージーらが出演している。
---- あらすじ ----
夫に先立たれ、一人で暮らす93歳のテルマ(ジューン・スキッブ)。孫のダニエル(フレッド・ヘッキンジャー)が彼女の親友でもあった。ある日、事故を起こして刑務所にいるので保釈金が必要だとダニエルを名乗る人物から電話があり、テルマは大急ぎで1万ドルをかき集めてポストに投函する。しかしそれは孫の名前をかたる特殊詐欺だったことが後に判明する。


以前「ジーサンズ はじめての強盗」(感想ページはこちら)という映画があり、年金生活者が銀行強盗をするという話でしたが、この映画は93歳のおばあちゃんがオレオレ詐欺(この表現は古いですね。特殊詐欺)にひっかかり、奪われたお金をとり戻そうとする物語。
劇中の新聞(だと思われます)の記事でトム・クルーズの写真つきで書いてあるように、おばあちゃん版ミッション・インポッシブル(画面上はミッション・ポッシブルでしたが)。

警察は何もしてくれないから自分でとり戻す! という心意気やよし、というところですが、93歳という設定はなぁ、と思いながら観ていました。
おばあちゃんとのすることですから、全体にゆるゆるではあるものの、さすがにこの映画のような活躍は、世の中にはお元気な93歳もいるでしょうけれど、無理でしょう、とそう思って。
でも、観終わってから映画のHPを見てびっくり。
引用します。

INTRODUCTION
オレオレ詐欺師に騙された93歳テルマが、お金を取り戻すべく電動スクーターでロサンゼルスを駆け巡る-!

映画の初主演としては史上最高齢、『ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅』(13)でアカデミー賞®助演女優賞ノミネートを果たしたジューン・スキップがその実年齢と同じ93歳のテルマを演じ、なんと電動スクーターでのカーアクション!?銃撃などアクションをすべて自らこなしている。しかもこの物語、監督の祖母の実話が基になっているというから、さらにびっくり!心優しい孫ダニエル役には、『グラディエーターII 英雄を呼ぶ声』(24)など今ハリウッドで最も勢いのある若手俳優フレッド・ヘッキンジャー。テルマの相棒となるベン役を、『黒いジャガー』(71)でシャフトを演じた伝説的俳優リチャード・ラウンドトゥリーが務めた。2024年サンダンス映画祭で上映されるや話題沸騰し、米映画批評サイトのロッテントマトでは98%(批評家)の高評価を記録。

痛快なノリで突っ走り、気がつけばテルマを中心に自分の殻を破るチャレンジに勇気がもらえて思わず笑い泣き!
登場人物のほとんどがそれほど速く動けない前代未聞のスロー・アクション・コメディが誕生!



この主演女優さん、実際に93歳なの!?
なんということ。
こんな元気なおばあちゃん、あやかりたい、あやかりたい。

被害者側に悲惨な結果をもたらすことの多いオレオレ詐欺など唾棄すべき犯罪で、本来楽しむ余地などないのですが、この映画では犯人側のマヌケさ含め、ユーモア、余裕を忘れない作劇のおかげで、たいへん楽しく観ることができました。



製作年:2024年
制作国:アメリカ/スイス
原 題:THELMA
監 督:ジョシュ・マーゴリン
時 間:99分
posted by 31 at 19:00| Comment(1) | 日本の作家 あ行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年06月17日

福家警部補の報告

福家警部補の報告 (創元推理文庫) - 大倉 崇裕
福家警部補の報告 (創元推理文庫) - 大倉 崇裕
<カバー裏紹介文>
今や生殺与奪の権を握る営業部長となった元同人誌仲間に干される漫画家、先代組長の遺志に従って我が身を顧みず元組員の行く末を才覚するヤクザ、銀行強盗計画を察知し決行直前の三人組を爆弾で吹き飛ばすエンジニア夫婦―過去数々の修羅場をくぐり抜けてきた経験は、殺人事件に際しても活かされる。福家警部補はどこに着眼して証拠を集めるのか。三編収録のシリーズ第三集。


「福家警部補の挨拶」 (創元推理文庫)
「福家警部補の再訪」 (創元推理文庫) に続く福家警部補シリーズ第3弾です。
このシリーズはこのあと
「福家警部補の追及」 (創元推理文庫)
「福家警部補の考察」 (創元推理文庫)
が刊行されています。

この「福家警部補の報告」には
「禁断の筋書(プロット)」
「少女の沈黙」
「女神の微笑(ほほえみ)」
の3編収録。

「禁断の筋書」は、漫画家が旧知の営業部長を殺してしまう話。
計画的な犯行ではなく、はずみで殺してしまったというのに、福家警部補と対峙させられて、少々かわいそうです。
じわじわと獲物をしとめていく福家警部補のいやらしさ(とあえて書いておきます)が堪能できます。
福家警部補が「気になっていること」は、一つ一つはささやかなもののように思われるのですが、いくつもいくつもある「気になっていること」が合わさって、確実に犯人を追い詰めていく。
しかし、福家警部補って、漫画ファンだったのですね。そんな時間どこから?


「少女の沈黙」は、解散したやくざの元構成員のお話。
この菅原という犯人、筋の通った立派な奴感漂うのがポイントですね ── 敵対していた組の幹部にもちゃんと一目置かれている。
かっこいいんですよ。
「あんたが俺を疑っているのは判った。別に構やしない。こういう目に遭うのは慣れっこなんでね。」(282ページ)
なんてやりとり、福家警部補とするんですよ。
やくざにもまったく物怖じしない福家警部補はさすがですし(警察官がやくざを怖がってはいけないのでしょうけれど、そうは言ってもねぇ)、組織犯罪対策課(四課)の志茂巡査部長をあしらう姿も堂に入っています。さすがというか、なんというか。
今回の犯罪は計画犯罪 ── ながら、そこはやくざというか腹が座っているというか、その場での臨機応変な対応に任せたような部分もあり、これまた福家警部補の餌食ですよねぇ......
「追い詰められ、どうにもならなくなったとき、最後に頼るべきは、虚勢だ。ヤクザの度量は虚勢の張り方で測られる。」(283ページ)
というあたり、倒叙ものの犯人にうってつけではないですか。
タイトルにもなっている沈黙の少女が目撃者であることを推論するくだりはとても感心しましたし、この沈黙の目撃者(と呼んでおきます)の取り扱いは福家警部補にとっては痛手だったと思われるのに、さらっと流して別の手段を探すあたり、すごいですね。
不屈の捜査官。
犯人菅原を追い詰める最後の一撃となる手がかり、こういうのも分析できるのですね。

この作品に、警視庁いきもの係シリーズの須藤警部補が登場します(175ページ~)。
薄(うすき)巡査の名前も(本当に名前だけですが)出てきます。ムササビを連れてきたらしい(笑)。
両シリーズは地続きの世界だったのですね。楽しい。


「女神の微笑」は、シリーズ中でも異色作といえると思います。
なにしろ......いやいや、これは明かすわけにはいきませんね。犯人像がとても印象深いとだけ言っておきましょうか。
ふたたび登場した志茂巡査部長の役回りがかわいそう(笑)。まあ、憎まれ役なんでしょうけれど。
最後のメッセージもなかなかのもので、ひょっとしたら福家警部補との再対決もあり得るかもしれませんね。
この作品の犯罪は、周到に準備された計画殺人である点、王道中の王道の倒叙ミステリとして素晴らしいと思います。
福家警部補の詰めのいくつかが突発事項への対処がきっかけとなっていて犯人側のミスだけではないのは難癖をつけようと思えばつけられるかもしれませんが、あらゆる角度から犯人を追い詰めていく福家警部補の動きを際立たせてくれてもいます。


「少女の沈黙」の目撃者のくだりや、「女神の微笑(ほほえみ)」を読んで変なことを考えてしまいました。
なんだかんだ言っても、倒叙ミステリの犯人って、あがきはするものの最終的には物分かりがいいですよね。
ひょっとしたら、探偵側が失敗する倒叙ミステリシリーズというのもありうるんじゃないか、と。
そしてその場合は、犯人側が逃げ延びるのは、偶然のおかげだ、というのが楽しいんじゃないかと。


ところで、このシリーズは、あちこちで書かれているように倒叙物のミステリとして刑事コロンボの衣鉢を継ぐものなのですが、解説で森谷明子が「作者大倉崇裕氏自身が、福家警部補の『本歌』については一言も触れていないのである。」と書いていて、あれっと思いました。
そうでしたっけ?
福家警部補シリーズの本歌が刑事コロンボであることは自明ですし、公言されていると思っておりました。
大倉崇裕は刑事コロンボファンとして有名なので、勝手にそう思ってしまったのかもしれません。
ただ、続けて
「『本歌』と似ても似つかない福家は、まったくかけ離れたキャラ設定でありながら」とあるのは納得できませんね。
性別も婚姻ステータスも違うとはいえ、そっくりだと思うのですが......




posted by 31 at 19:00| Comment(1) | 日本の作家 大倉崇裕 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年06月15日

恐怖の谷

恐怖の谷 新訳シャーロック・ホームズ全集 (光文社文庫) - アーサー・コナン・ドイル, 日暮 雅通
恐怖の谷 新訳シャーロック・ホームズ全集 (光文社文庫) - アーサー・コナン・ドイル
<カバー裏紹介文>
犯罪王モリアーティ教授の組織にいる人物から届いた、暗号手紙。その謎をみごとに解いたホームズだが、問題の人物ダグラスはすでにバールストン館で殺されていた。奇怪な状況の殺人を捜査する謎解き部分(第一部)と、事件の背景となったアメリカの “恐怖の谷” におけるスリルとアクションに満ちた物語(第二部)の二部構成による、傑作長編。


2025年5月に読んだ最初の本です。
ホームズ物を大人物で読み直している第7弾。
第4長編、すなわち最後の長編です。
「恐怖の谷」 (光文社文庫)

本作は、ホームズものの長編では典型となっている二部構成。
第一部が英国の事件、第二部は時をさかのぼって米国のお話。そのあとエピローグがあって舞台は英国に戻ります。

第一部のタイトルが「バールストンの惨劇」。
不幸なことに、今となってはこのタイトルだけで事件の真相が透けて見えてしまいます。
今では古典的ともいえるこの ”顔のない死体” トリック(プロット)の原型に接することができて、味わい深いことではありました。
その真相を示唆する手掛かりがちりばめられていることのほうに注目したほうがよいのかもしれません。
片方しかないダンベルとか、窓枠の靴の跡とか。
あるいは、犯人を罠にかけるホームズの手際も楽しいですよね。

「恐怖の谷」という呼称は第一部の95ページに初めて出てきます
被害者ジョン・ダグラスが生前口にしたとして夫人が証言しています。
これが動機ということで、第二部につながるわけですね。

第二部は「スコウラーズ」。
アメリカのヴァーミッサ谷にある殺人者集団と新聞にも書かれるような秘密結社。
ここでの青年の冒険談となっています。
ヴァーミッサ谷が、本書のタイトルでもある「恐怖の谷」ということです。
この第二部が生き生きしているのがやはりポイントですよね ── もっとも、恐ろしい内容なのでそれを生き生きというのは不穏当かもしれませんが。

この第二部は、第一部である登場人物が「事実をありのままに書いてお」いた(140ページ)と語っていた原稿で、三人称でつづられ、大半の視点人物は固定されています。
いかにも荒くれもの世界という感じで魅力的ですが、さりげなく一種の叙述トリック的なもの ─というと言い過ぎかもしれませんが─ が忍ばされているのが楽しいな、と思いました。


エピローグでは事件の後日談となっていて、登場人物はホームズたち。
ここでモリアーティの名前が出てきます。
どこまで根を張っているんだ、モリアーティ。さすが「悪の帝王」(304ページ)ということなのかもしれませんが......
しかもイギリスでは世間的に(一般的に)知られていないのに、アメリカの犯罪者集団には知られている。蛇の道はというやつでしょうか。
ホームズがライヘンバッハの滝で葬り去ってよかったですね。

ホームズもの、残るは短編集2冊。
今年中に読み終わるかな?


<蛇足1>
「ホームズは謝礼などに見向きもせず、事件を解決する知的な喜びだけで満足するのだ。」(25ページ)
「緋色の研究」で、ホームズは探偵から依頼を受けて捜査する探偵という諮問探偵だとなっていて、感想でも、レストレード警部などからも報酬を受け取っていたのだろうか、と書いたのですが、受け取っていなかったようですね。
とすると、ホームズの収入源は???

<蛇足2>
「その前に確かめておきたいことが二、三あるんだがね、マック君」(74ページ)
マクドナルド警部のことをホームズがマック君と呼んでいます。
マクドナルドをマックと略すのは、世界的ハンバーガー・チェーンもそうで、よくあることなのですが、この略し方変ですよね。
McDonaldのMc (Mac と書くケースも)というのは、もともと ”~の息子" という意味で、マクドナルド以外にも、McKenzie とか McDonnell とか McKinley とかいろいろあります。
この略をMc(マック)としてしまうのはちょっと乱暴な気がするのですが......

<蛇足3>
「かなり幅の広い靴だな。いわゆる扁平足というやつか。」(76ページ)
あれ? 偏平足って、幅が広いとは限らないのでは...... 調べてみても、土踏まずがきちんとできておらず、足裏が平らになった状態となっていて、足の幅は出てこないのですが。
と思って気づきました。この靴は、幅が広いという特徴と、扁平足という特徴の二つを表していると解すべきなんですね。
ところで、靴跡を見れば扁平足かどうかってわかるものでしょうか?


原題:The Valley of Fear
作者:Arthur Conan Doyle
刊行:1915年(原書刊行年は解説から)
訳者:日暮雅通


posted by 31 at 19:00| Comment(1) | 海外の作家 か行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする