2025年05月13日

元気でいてよ、R2D2。

元気でいてよ、R2-D2。 (角川文庫) - 北村 薫
元気でいてよ、R2-D2。 (角川文庫) - 北村 薫
<カバー裏紹介文>
気心のしれた女同士で飲むお酒は、自分を少し素直にしてくれる…そんな中、思い出すのは、取り返しのつかない色んなこと(「元気でいてよ、R2‐D2。」)。産休中の女性編集者の下に突然舞い込んだ、ある大物作家の原稿。彼女は育児に追われながらも、自ら本作りに乗り出すが…(「スイッチ」)。本人ですら気付かない本心がふと顔を出すとき、世界は崩れ出す。人の本質を巧みに描く、書き下ろしを含む9つの物語。


2025年4月に読んだ2冊目の本です。
北村薫の「元気でいてよ、R2-D2。」 (角川文庫)

「マスカット・グリーン」
「腹中の恐怖」
「微塵隠れのあっこちゃん」
「三つ、惚れられ」
「よいしょ、よいしょ」
「元気でいてよ、R2D2。」
「さりさりさり」
「ざくろ」
「スイッチ」
の9編収録の短編集。

ミステリではないですね。ただ、ミステリではないとしても、地続きのような気がします。
巻頭のまえがきで、
「《怖い話》というのは、読むにしても書くにしても魅力的だ」
と書かれているように、ミステリではないとしたらホラーが近いのだと思うのですが、ホラーというのも違う気がします。確かにホラーとも地続きですが。
広義のミステリの1ジャンルとして江戸川乱歩が名づけた「奇妙な味」というのがあり、これが一番近いかもしれませんが、一般的に「奇妙な味」といわれる諸作よりも更にミステリからは遠い境地にあるように思えます。

佐藤夕子による角川文庫版解説で篠田真由美の「誰がカインを殺したか 桜井京介returns」 (講談社ノベルス)からの北川作品についての引用があります。
「そもそも日常の謎てえのは北村薫のデビュー作がその嚆矢で、なかんずくその短編集中の一作『砂糖合戦』にとどめを刺すってのが俺の持論だ」
「殺人はもちろん、なにひとつ犯罪は起こらない。(略)しかしそこには日常を脅かす不気味な亀裂が見事に活写されている。つまりは正視すればおぞましい、人間の本質が書かれているのだ。いまだにあれを超えた作品はない。
 その後に書かれている幾多の日常の謎ミステリには、『砂糖合戦』が描いてみせた暗い亀裂も、いまどきの少女の内に巣くう悪の翳りも描かれない。単に深刻な犯罪が起こらないという点で北村作品の形を踏襲し、消費社会の現実を無批判に肯定するだけだ」

ふたたびまえがきからの引用になりますが、
「陰のある作品集」
というしかないのかもしれません。
暗い亀裂を描いた、陰のある作品集。

妊娠中の女性の方は読まないでくださいとまえがきに書かれている「腹中の恐怖」は、確かに妊娠中だと嫌だろうな、と思うものの、このまえがきのおかげで展開が読めてしまいました。難しいですね。
ただ、それでも、「腹中の恐怖」に描かれている発想は怖ろしく感じましたし、その発想を届けるべく手紙になっているということにも怖ろしさを強く感じました──だってこの手紙、なんのために書いたと思います?

表題作の「元気でいてよ、R2D2。」もまえがきで触れられていて「結末にある一瞬の思い──《取り返しがつかない》という思いは、時の中に生きる人間にとって根源的な、大きな恐怖」に、ぞくっとします。
R2D2はスターウォーズに出てくるロボット(?) ですが、ここではイタリア料理店に置かれているコーヒーメーカー。形が似ているとかで話者がそう読んでいます。
タイトルが「元気でいてよ、R2D2」であって「元気でいてよ、R2D2」でないことが気になっています。

集中では「微塵隠れのあっこちゃん」が象徴的な作品なのかな、と思いました。
話の中で弟と遊ぶ幼少期の思い出話の持つ意味合いが、現在の状況に対する《呪いの忍法》の話のきっかけかと思っていたら、ガラッと違う様相を見せる。

怖さでは「さりさりさり」でしょうか。通常の怖さとはちょっと違う感覚でしたが。
出てくる「蛇と蟹の昔話」、登場する人間サイドから見ればめでたしめでたし、ながら、蛇から見たら、あげるというからいただきに来ただけで殺されちゃう蛇はかわいそうという見方にはっとしていたら、「蛇はね、お仕置きされて当然なんだよ」「分を越えたからよ」「蛇には蛇の分際があるでしょ。」とさらに衝撃。
おそらく作品の狙いとは違うところかとは思うのですが、自らの発想が狭いものであることを突きつけられて怖さを感じました。
相手の立場に立って考える──学校の先生がよくいうような言葉ですが、簡単なことではないですよね。

最後の「スイッチ」は怖さではなく(ある意味怖いに通じる感覚ではありますが)、角川文庫版解説で指摘されているように「生きていく中にはどうしようもなく悲しく重いことがあるのだ」ということを描いた作品で、つらいことではあるけれど、それでも前を向く力を主人公に感じてちょっとほっとできました。



<蛇足>
「・・・・・どうして、皆、恋愛出来るんだあ。」
「普通は出来ないんじゃないの、そんなこと。お話だと、人殺しが出て来たりするじゃない。だけど、身の回りに殺人事件なんか、あんまり起こらないでしょ。恋愛も同じだよ。だから、ドラマになったりお話になったりする。そうじゃない?」
「だってさ、恋愛するって、ちょっといい感じの上だよね。死ぬまで一緒に暮らしたいってことでしょ。いやいや、死んでもだよ。そうでなかったら恋愛じゃないでしょ。だとしたら──気持ちがぴったり合って、何でも話せて、何でも一緒に出来る人じゃないと駄目でしょ。
 その上で、どっか尊敬出来なきゃアウトだよ。スパイスでしょ、これが。(略)惚れられなかったらさあ、抱かれることなんて出来っこないじゃん。
 その上で、人間性までぴったり合わなきゃ、いかんわけだ。
 そんな人に、会ったことないもん」(「元気でいてよ、R2D2。」141ページ)
賛同はしないのですが、ちょっとドキリとしたセリフです。


ラベル:北村薫
posted by 31 at 19:00| Comment(1) | 日本の作家 か行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年05月11日

デイン家の呪い

デイン家の呪い (ハヤカワ・ミステリ文庫)  - ダシール ハメット
デイン家の呪い (ハヤカワ・ミステリ文庫) - ダシール ハメット
<カバー裏紹介文>
コンチネンタル探偵社の調査員の私は、科学者のエドガー・レゲット邸で起きたダイヤモンド盗難事件をきっかけに、博士の娘ゲイブリエルと知り合う。麻薬に溺れ、怪しげな宗教に傾倒する彼女を私は救おうとするが、その周辺では関係者の自殺や謎の死など怪事件が次々と・・・・・果たして一族に伝わる恐るべき呪いなのか? ハードボイルドの巨匠による異色作、半世紀ぶりに新訳なる! ハメット研究の第一人者による待望の訳業。


2025年4月に読んだ最初の本です。
ダシール・ハメットの「デイン家の呪い」 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

いつもまずまず楽しく読んでいるものの、瀬戸川猛資さんではないけれど、ハードボイルドというものはよくわからない。
ハードボイルドとは何なのか?──もっともそう言いだしたら、ミステリだって本格ミステリだって定義はよくわからないのですが。
文学用語的には、文体を指しているような感じは受けているのですが。
そんななかで言っても信頼度は低いですが(笑)、今風にいうとハードボイルドの神のひとり、ダシール・ハメットのこの「デイン家の呪い」 (ハヤカワ・ミステリ文庫)は異色作ですね。

訳者である小鷹信光が訳者あとがきで
「いや、けっこうおもしろいんじゃないの。あちこちでツイストも効いてるし、サスライズ・エンディングはひかえているし。ハメットにもこんな芸があったのかと感心するよ」(393ページ)
と書いているので、信じていただいても大丈夫かと。

第一部 デイン家
第二部 神殿
第三部 クエサダ
となっており、それぞれの場所で事件が起こります。

最初の舞台は、サンフランシスコのレゲット家。デイン家の血をひくものが当主エドガー・レゲットの妻アリス・レゲットとしています(娘ゲイブリエル(ゲイビー)もそうですね)。そして、このデイン家の血が呪われている、というのが本書に底流としてずっと流れています。
なので、表面的にはレゲット家でも、デイン家、というわけですね。
最初はたいして資産価値のないダイヤモンドの盗難だったのが殺人事件に発展し、レゲットとデイン家の過去が暴きだされます。
コンチネンタル探偵社の私は調査のため派遣され、事件に巻き込まれます──というより飛び込みます。私の旧友オーウェン・フィッツステファンがレゲットと繋がりがあることを知り私が話を聞きに行った後、フィッツステファンも事件の中へ。

舞台は移って、宗教結社の聖杯神殿。
ゲイブリエルが心の安定を得るために滞在します(麻薬(モルヒネ)中毒にもなっている、ということなので、宗教施設よりは病院のほうがふさわしいようには思いますが)。
そこでゲイブリエルの様子を見ていた医師が殺され、幽霊騒ぎが起こり、教祖ハルドーンが妻アーロニアを殺そうとします。

聖杯神殿(?) の事件が落ち着いた(?) どさくさに、婚約者エリック・コリントンがゲイブリエルと結婚し、クエサダに住居を移します。
エリックから急を告げる電報を受けたわたしはクエサダに行きますが、エリック・コリントンは既に死んでいた。

とこんな感じで物語は進んでいきます(紹介したここまでで本は半分くらいです)。
一族の血に流れる呪いだとか、宗教団体での暮らし・事件とか(幽霊騒動も)、ハードボイルドの一般的なイメージとちょっとずれた場所で物語が展開されていきますね。
聖杯神殿にしても、わたしは潜入するのではなく、堂々と、しかも宗教団体サイドからも(少なくとも表面は)歓迎されてはいります。というところも、ハードボイルドっぽくはない。

探偵役を務めるわたしも。どちらかというと名探偵っぽいふるまいです──立ち回りはあちらこちらでありますが。
「おもしろ半分に楽しみながら殺人者をとらえるなんてことはできないんだ。手にはいるかぎりの事実を目の前に並べて坐り、カチッと歯車が嚙み合うまで何度でもひっくり返して眺めなきゃならない」(275ページ)
なんて言ったりします──もちろん、ハードボイルドだってミステリとして成立させるのであれば、探偵はきちんと謎を解く必要がありますし、ミステリとしての意外性を大切にしている作品も多くありますので、探偵がこう言ったからといっておかしくはないのですが、一般的なハードボイルド探偵のイメージとは違うように思えて興味深いですね。ハードボイルドのうち、一般的なミステリとしての側面を強く打ち出した作品、ということだったのかもしれません。

「探偵は、すでにこたえがわかっている質問をするのが好きなんですよ。」(347ページ)
というセリフもいいですね。
場面は違いますが、法廷もので弁護士(あるいは検事)の主人公が口にしそうなセリフ。

一方で、
「怪物(モンスター)よ。すてきな怪物。めんどうなことに巻きこまれた時そばにいてくれると、とりわけすてきなんだけど、怪物であることに変わりはない。」(372ページ)
なんて、いかにもハードボイルド探偵らしいことを言われたりもしています。

全編を通して、ちょっとおもしろい犯人の隠し方をしているのもポイントですね。
考え方によるかも、ですが、新本格ミステリが好きな、あるテーマも忍ばされているようにも思えました。

訳者あとがきによれば「当のハメット自身が”馬鹿げた物語”とけなしたという話も伝わってきた」ということですが、とても楽しく読みました。
この作品を楽しんだなんていったら、「だからお前はハードボイルドが分かってないって言うんだよ」と指摘されちゃうかもしれませんが、ほかならぬ小鷹信光が「けっこうおもしろい」って言ってるんですから。


原題:The Dain Curse
著者:Dashiell Hammett
刊行:1929年
訳者:小鷹信光


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2025年05月07日

映画:ミッキー17

ミッキー17 1.jpg

映画「ミッキー17」の感想です。

いつものようにシネマトゥデイから引用します。

---- 見どころ ----
『パラサイト 半地下の家族』などのポン・ジュノ監督が、エドワード・アシュトンの同名小説を実写化したSFサスペンス。何度も生き返り、その度に過酷な業務を強いられる契約をした男の前に、自分のコピーが現れる。『THE BATMAN-ザ・バットマン-』などのロバート・パティンソン、『レディ・マクベス』などのナオミ・アッキー、『ミナリ』などのスティーヴン・ユァンのほか、トニ・コレット、マーク・ラファロらが出演する。
---- あらすじ ----
失敗続きの人生を送ってきたミッキー(ロバート・パティンソン)は、何度も生き返りながら働くという契約をある企業と交わす。過酷な業務を命じられて命を落としては生き返るという日々の中で搾取されてきたミッキーの前に、企業側の手違いで誕生した自分の分身が現れる。ミッキーは、この状況を生かして企業への反撃に動き出す。


何度も生き返りながら働くという設定がポイントですね。究極の使い捨て人材。映画中でもディスペンサブルと呼ばれていますしね。
厳密には生き返りではなく、新しい体を作成し、そこに別途保管していた記憶を植え付けるというもの。
この記憶分があることで、”生き返り” として機能する、という仕組み。
今の主人公ミッキーは17代目(というのでしょうか?)。
ミッキー17が基地に戻ると、死んだと思われて複製が出来上がっていて、そちらはミッキー18。
マルティプルというこの状態は禁忌で、知られると両者(17と18)ともに抹殺されてしまう ── 生き返ることなく本当の死を迎える。
さて、どうするか、というお話。

このミッキー17とミッキー18の性格が対照的になっているのが重要で、とくに話さなくても、二人が並んで立っているだけで性格の違いが見てとれるというは本当にすごいことだと思い、主演のロバート・パティンソンってすごい役者さんだなぁ、と思いました。

と同時に、なぜ性格が異なったのか、とても気になりました。
おかしいですよね? 
別途保管する記憶をどの程度の頻度で本体から吸い上げていたのかわからないのですが、ミッキー18はミッキー17の記憶を引き継いでいるのかどうか。
毎日(あるいは一定間隔で)保管分をアップデートしていたとすると、ミッキー17としての活動による部分も保管されているはずなので、ミッキー18はミッキー17の記憶などを引き継いでいることになり、性格が変わるというのはおかしいことになります。
アップデートはほとんどされず、ということだったとすると、ミッキー17としての活動による部分も保管されいないわけなので、ミッキー18はミッキー16の記憶を引き継いでいることになります。でもこのミッキー16の記憶がどうだったかを考えると、ミッキー15、14......とさかのぼって考えれば、ミッキーは番号に如何にかかわらず、初代ミッキーの記憶しか引き継いでいないこととなり、こちらの場合でも性格が変わるのはおかしい。
??? どういうこと?
物語上、ミッキー17には過去の番号のミッキーの記憶もありますので、前者の仕組みであるはずなのですが......だとすると性格は変わらないでしょう。???
まあ、複製を作る段階で何らかのエラーが起こった、というのが結論なのでしょうね。
映画の中で、複製を作る機械のコードかなにかを抜き差しするシーンがありましたので、ミッキー17あるいはミッキー18のどちらかにその結果としてエラーが起こって性格が異なったと解するしかなさそうです。
それに異なった性格であったはずが、ラストでミッキー18が取る行動は、どちらかといえばミッキー17が取る行動のような気がしますしね ── ミッキー17だとするとうだうだ悩んで行動には移せないかもしれませんが。
まあ、こんなことを気にしても仕方がないので、素直に楽しめばいいだけなんですけどね。

この映画、ユーモアを狙った部分もあるのですが、ここは好みが分かれそうです。
個人的には許容範囲かどうかギリギリの微妙なところ。特にリーダー夫妻の造型は戯画化が過ぎているように思われました。これがなにかの風刺あるいは社会批判だったとするとあまりにも質が悪いと言わざるを得ないような。

といいつつ、ちょっともたつく部分はあるものの、全般的には場面がパッ、パッ、と切り替わり、話がぐんぐん進んでいきますので楽しく観ることができました。
ミッキーが二人いることを知った恋人の反応には爆笑しそうになりました(下品ですけどね)。
クリーパーと呼ばれる異星人(?) がどう見ても宮崎駿リスペクトなのもよかったですね。




製作年:2025年
制作国:アメリカ
原 題:MICKEY 17
監 督:ポン・ジュノ
時 間:137分
posted by 31 at 19:00| Comment(1) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする