2024年12月17日

あの夏、風の街に消えた


あの夏、風の街に消えた (角川文庫 か 24-8)

あの夏、風の街に消えた (角川文庫 か 24-8)

  • 作者: 香納 諒一
  • 出版社/メーカー: 角川書店
  • 発売日: 2007/10/01
  • メディア: 文庫

<カバー裏紹介文>
京都で大学生活を送っていた巌は、父の指示で西新宿の角筈ホテルに身を隠すことになった。ホテルの女主人ハルさんに、死んだでゃずの母は生きていて、近くの蔦屋敷がその実家であると教えられた巌は、そこで変死体を発見する──。地上げに侵蝕される新宿、暗躍するマフィアと天安門事件、さらに巌の出征の秘密が交錯して、事件の幕が開く。友情の想い出とともに記憶される、淡い恋の行方。戻らない青春の日々に捧げる挽歌。


2024年11月に読んだ9作目(10冊目)の本です。
香納諒一「あの夏、風の街に消えた」 (角川文庫)
香納諒一の本の感想を書くのははじめてですね。
手許の記録を見てみると、この前に読んだのは、「天使たちの場所」 (集英社文庫)で2003年の4月のことのようで、実に21年ぶり。

最近は警察小説を多く書かれているようですが、もともとのイメージはハードボイルド。
正統派の端正なハードボイルドを書かれる作家でした。

本書の書き出しは「それはまだ二十世紀のことだった」です。
読み進むと、最初こそ京都ですが、その後は西新宿を中心に東京に舞台を移します。時代背景は「後になって振り返ってみれば、この年、すなわち一九九〇年は、まだ東京の地価は高騰を極めてはいたが、既にバブル経済の崩壊の兆候が静かに不気味に出始めていた年だった。」(79ページ)と書かれていますね。
それを主人公巌が回想している。当時主人公は大学生。
青春を回顧する、という一つの定型に則った物語です。

父親がヤバいことになっているので身を隠せ、と突然言われるのが冒頭。
といいながら、詳しい事情はまったく知らされない、というのがポイントですね。
巌の母親が生きていると知らされる、とか、祖父が土地を騙されて奪われ死んでしまうとか、主人公の出生をめぐる出来事とあいまって、次第次第に、父親世代が経験した全共闘時代の騒動、バブル経済における地上げ、天安門事件のヒーロー、ヤクザや中国マフィアの暗躍といったカードが次々と配られます。

なんだか典型的な物語の要素だなぁ、と思われたあなた! その通りです。
コクマルガラスのカースケやスーさんと呼ばれる浮浪者のような老人、そして神田川の鰐(!)といったギミックはあるものの、典型的な物語になっています。

一九九〇年を回想する建付けになっていると同時に、全共闘時代の騒動をも振り返ります。
「祭りだったのよ。使い古されたいい方かもしれないけれどさ、今になって振り返ってみても、あの頃はお祭りだったんだなって思うわ。」(426ページ)
といういわゆる全共闘時代の当時を振り返ったセリフがあり、そのせいで人が死んでいるというのに祭りもなにもないだろうと思わないでもないですが、当時渦中にいた人はこういう実感なのかもしれませんね。祭りといっても人死にと無縁ではないですしね。

この全共闘時代と響き合わせるかのように天安門事件に代表される中国の民主化運動が取り上げられています。
「革命のリーダーになるような野郎は、どこかてめえだけは特別な人間だと思ってやがって、人を人とも思わないようなところがあるんだろうさ。」(549ページ)
巌の父が天安門事件のリーダーについて語るセリフですが、当然、全共闘もこのセリフの視野には入っているのでしょう。

こうしたいろいろな事象は相互に繋がり合っていて、ミステリとしての構図は整ってはいるのですが、読んでみるとそれらの印象は強くなく、あくまで本書は巌個人の物語として立ち上がってくるのがポイントなのではないかと思いました。
だからこそこの物語は巌による回想という形式をとっているのでしょう。

青春回顧という物語には、魅力的な登場人物が不可欠ですが、これまた盛りだくさん。
まずは巌の父親でしょう。
「綱渡りの名人は、落ちそうに見せて決して足を踏み外さないものだ。法律というのは、頭の悪い人間を取りしまうのであって、軽業師のごとく網の目をくぐっていく俺たちには関係ない。なにしろ、ここの出来が違うからな」(24ページ)
なんてうそぶくおっさん。息子から見れば、迷惑この上ない、面倒なだけの存在のように見えて、そのうち悪くないな、と思えてくるから不思議。
「いつの間にか、この国にゃ、野郎みたいな卑しい顔をした人間ばかりがのさばるようになってきた。俺にゃ、そう思えてならねえのさ。てめえじゃ手を汚そうとせずに、何かでかい物の傘の下に入り、そこでうまい汁を啜りつづけてるような連中さ。」(551ページ)
あたりのセリフは、あまりにも手垢のついた感じがしてどうもな、というところですが、
「だけどな、男ってやつは、大人になる必要がある時にはもう大人なのさ」(555ページ)
なんてさらりと口にしてみたり、いい感じ。

巌を東京に連れてくる役目を負った風太もいいですね。サックスプレーヤーを目指す青年。巌と同い年。
なぜか道中いっしょだった貴美子(年齢不詳というのがそれらしくていい)や、刑事だとわかる嶌久(しまきゅう)さん、角筈ホテルの女主人ハルさんとそこで暮らす教授、そしてヒロインである中国人の玲玉。
挙げだすときりがありませんね。
要注意人物も混じっているのですが、やはり注目はコクマルガラスのカースケとスーさん。
「あの連中が警察で何をいったところで、誰が信用するものか。─略─ 莫迦莫迦しいにもほどがある。誰も相手にせんて。」(496ページ)
とか言って、いいところを持っていきます。
ミステリとしては反則技を繰り出してきて苦笑というところですが、この物語にはなぜかしっくりきました──鰐もね。

最後に個人的に感じたこととして書いておきたいのは、本書、地上げだヤクザだと物騒なことを取り扱っていて現実にまみれていながらも、どこか懐かしいような、そうですね、たとえばトム・ソーヤ―の冒険のような雰囲気を道具立てと共に漂わせていることです。
これが青春物語であり、巌の成長物語であるから、かもしれません。


<蛇足>
「ああ、それは六合彩(リウフーツアイ)。マーク・シックスよ」
ー略ー
「六合彩、おまつりじゃないよ。にほんでいう、たからくじ」
ー略ー
「そう、1から49までのかずのうち、すきなかずをえらぶ。ぜんぶあたったら、おおがねもち」(344ページ)
中国のたからくじが紹介されています。今の日本のロト6みたいな感じですね。
ロト6が日本に登場したのは2000年(平成12年)10月1日のようですので、この作品の背景の時代にはまだなかったのですね。
ラベル:香納諒一
posted by 31 at 19:00| Comment(0) | 日本の作家 か行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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